鉄は熱いうちに打て
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サード・プレイスの話

2025-09-29

先日、PyCon JP 2025に参加して気づきがあったので書いておきます。 なんだか、いままでよりリラックスして参加できました。考えてみたのですが、これまで10年ほどのコミュニティ活動はどこかしらに同僚がいて趣味の活動のはずがサード・プレイスになっていなかったのではないかと気が付きました。現在の同僚は私が参加しているコミュニティ活動のどこにもいません。職場とコミュニティの両方で情報を共有できるのは深い関係になり楽しくもあるのですが辛くもありました。

私の実家が地域に根付いた商売をしていたので、地域のどこででも問題を起こすと私の実家の評判につながり、自分の生活が立ち行かなくなる環境で育ちました。地元にいたときは人からの評判が悪くならないように暮らしていました。大学生になり上京し、誰も自分のことを知らない環境に身を置き、心が解放されたのを覚えています。高校まで自分は根っからの真面目人間だと思っていたのですが、あくまで実家と自分のためという保守的な思想でそうふるまっていたようです。大学以降は、学校・サークル・バイトにおいて重なる人はいなかったので、特にまじめな人間ではありませんでした。

ここ10年、自分で望んでそうしたのに異なる場所に重なる人がいることでストレスを受けていたようです。

職場において私生活に関する話題をほとんど交わさないことは、寂しさを感じる一方で、気楽さも感じられます。特に隠し事があるわけではありませんが、何となく気楽に感じられるのです。前の会社は好きでしたが、現在の職場の方がより気楽に働けているなと気がつきました。

サード・プレイス - Wikipedia